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運命学へ(37)

ヘンリー・ミラーの小説に、あるスイス人占星術師に肩入した主人公の、その人物との同居生活でおきた厄介ごとを描いた作品がある。自伝作家といわれるミラーであるが、その小説に実名で登場する占星術師のコンラッド・モリカンは、著作などもある実在した人物であり、カリフォルニアで実際にミラーと同居生活を送った。モリカンは、「信仰心が欠如」し、「あらゆることに対して答えがあり」、また「知識の道を選択した」陰鬱で貴族的な男である。いわゆる情報の塊であり、同時に鉄の意志をもち合わせているのがモリカンの特徴なのだが、占いに対して様々な意見を持っているミラーは、その感受性を批判的に駆使して「コンラッド・モリカン」という人物を創り上げるにいたった。占星術の世界では、長い間に集めた膨大なデータから抽出した理屈であらゆることを推し量るので、あらゆることに対して何らかの答えが用意されている。経験知ともいうべき「知識の道」の行き着くところは、小説の最後にあるように、「浮浪者の最期のように丸はだかで、鼠のように唯ひとり」死んだモリカンだった。

運命学へ(36)

若いころに読んだ四柱推命の解説書に、「命を運ぶものが運命」といった記述がされていた。いまでもそれを覚えているのは、その表現に当時たいへんな衝撃をうけたからだ。当時のわたしには、まったく意味している内容がわからなかった。命を運ぶとは一体どういうことか。辞書で「運命」を調べると、「人の力ではどうにもならない、人や物事がその後たどってゆくと考えられる道筋」とある。そこから類推すると、運命とは、本人を含めて誰にも変えることのできない結末に通じる道のようなものだろうか。道のようなもの、つまりは方法だ。そう考えると、運命コードの解読は、その人が生まれ持った方法論を解明することになる。たいていの人は自分に使いこなせると思える、あるいは自分の知っている方法に従って行動する。それゆえ、どうしてその方法を選択したのかに注目することにより、運命コード解読は大きく前進することになる。

運命学へ(35)

運命式協同開拓者。運命式という未開の地のディベロッパー。わたしの運命式からは、しばしば土地関係の仕事が良いという判断がされるが、これはリアルな土地でなくてもいいのではないかと思う。たとえ比喩上の土地であっても、運命式協同開拓者は運命式という名の土地を取り扱う仕事人である。たった八文字、四行で示された土地の登記簿を見て、最大限の土地活用をもくろむプロのディベロッパーだ。東洋の占星術のひとつである四柱推命を知ることによって、わたしは自分独自の認識論を持つにいたった。問題の分析を容易に導くための思考システムとして、四柱推命を貫く理論の土台となっている思想—ーつまりそれは、陰陽五行説であるがーーを深く理解し現実生活にうまく適用することが肝腎である。日々の生活と結びつかないような学問は、刻一刻と変化する時間の中を生きる役にはたたない。

運命学へ(34)

二十世紀はそういう時代だったのだろう。自己の探求にとりつかれた世紀だった。しかし二十一世紀は違う。他者への愛こそが必要とされる世紀だ。他人様のことを思いやり、それを踏まえた上で、他人様への配慮が要求される時代なのである。まるで二十世紀以前の日本に戻ったかのようだ。そういう意味で、運命学は、自分以外の、様々な他者を知るための手段となり得る。わたしが他者に何か配慮しようとするとき、そこにわたしの奥底にあるわたしの本質的な姿が現れる。だから他者を知ることこそが、自分を知ることに結びつくのだ。悪い運命の命式を見て、わたしはどのようにしてそれを相手に伝えるのか。このときにわたしが相手に対してする配慮の内容にこそ、わたしの本質的な性格や人間性が露呈するだろう。しかし運命式を読み解いて内容を伝える占い師に、人はどれほどの価値を付与するのだろうか。そうした価値評価とは別次元で、二十一世紀の占い師は単なる運命式解説者ではなく、運命式協同開拓者とならなければならない。長らく文学研究者としての人生を送ってきたが、今後は、運命式協同開拓者としての自分像を描きたく思う。

運命学へ(33)

それがなぜか。長らく考えたが、最近になってようやく答えがでた。自分の考えの中に入り、自分の考えの中で悩み苦しんだ作品を、「真実」とか「現実」として受け止めようとしてきたわたし自身の態度に問題があったのだ。そういうふうにやっていると、自分の人生がひとつの虚構になってしまい、刻一刻と変化する時間の流れをまったく無視して生きてしまうことになる。わたしが研究してきた作家は、最晩年に自分というものを理解し、そのとき「もう、書く必要がなくなった」という言葉を残した。自己探求をテーマとして執筆してきたのだが、自分の正体を本当に悟ったときに、作品を書かなくなってしまったのだ。「書くことは生きること」とその作家は言った。しかし今になって思うが、その作家にとって書くことは、自分をより多く知ることだった。若いころのわたしは「書くことは生きること」の謎めいた言葉に大いに共感し、自分自身を不可知の存在として文学研究を開始した。しかし、どんなに研究しても、どんなに作家作品を読み込んでも、いつまでたっても自分を知り得ることはなかった。

運命学へ(32)

どうしてわたしは運命学を本格的に追究する気になったのか。自問自答してみた。わたしは長い間、二十世紀のアメリカ人作家の研究をしてきた。その作家はドキュメンタリー作家ではなく、虚構の世界を描く作家だった。その作品は大体のところ、「一人称での語り」という手法をとっていた。二十世紀に入ってフロイトが精神分析学を創設したが、それはまぎれもなく人間の意識の解明に注意を向けた学問だった。二十世紀はとくに自分というものに関心を向け、自分の意識を、それが潜在的なものであれ顕在的なものであれ、探求した時代だった。わたしが研究し続けてきた作家も、二十世紀という時代精神の中で生きた人間だったから、作品の中の主人公は「わたし」だった。小説の内容はすべて、自分が自分の考えの中に入り、自分の考えの中で悩み喜ぶといったもので、作家が描いたのは、そういう意味では、まさしく虚構の世界だった。わたしは作家の描く虚構世界に「真実」を躍起になって探し出し、そうして得られた研究成果を現実生活に活かす試みをしてきたが、どうしてもうまくいかなかった。研究成果の現実生活への適用に関して、わたしはそこに一かけらの真実すら見出すことができなかったのだ。

運命学へ(31)

師匠は十五回も転職し、ようやく占い師という生業に落ち着いた。四柱推命では大きく二種類に人様の命式を分ける。身強の命式と身弱の命式だ。身が強いとは、自己が潜在的に持っているエネルギーが大きいことを指し、身が弱いとはこれの逆である。四柱推命では、エネルギーの強弱だけを問題とはしない。十年ごとや一年ごとに巡りくる行運と誕生時に決定した運命式とのエネルギーバランスが重要で、身の強さ弱さで幸運や不運は決定しない。また、どちらかが特に優れているといった判断もしない。師匠は身の強い運命式をもった人だった。だからその観点からいろいろな事物を見ているのかもしれない。もし師匠が身の弱い人だったら、人生、四行しかないとは言わないだろう。それどころか人生、四行もある。この一行一行に示された文字が、その人の人生の課題を如実に語っており、今まで生きて、そのうちのどれだけを達成し終えたのかと問うかもしれない。