停滞運
40年間ずっと、自分にとってよくない星が巡っていた。四柱推命でいう大運は10年区切りで運が変化していくが、それが40年間、これ以上ないほどの悪い星の巡りだった。生まれた瞬間に決定した命を車だとすると、大運はその車が走っていく道や天候を表している。18歳から58歳まで、どしゃぶりの、ぬかるんだ道を走ってきた感じだ。泥をかぶりながら、汚れたウィンドウから外の景色を眺める毎日だった。ある時期、わたしにもチャンスらしきものが来た。チャンスは人がもたらすものだ。その時その人は、自分自身があまりにも豊かなので、あちこちにチャンスをばらまいていた。しかしながら、その時はせっかくのチャンスに食いつけなかった。それまでの自分を捨てて、新しい自分に賭ける勇気がなかったし、自分を変えたくなかった。その人のもたらしたチャンスに食いついた人々は、それから何年か後には、みんなそれぞれに出世し、社会的に何段階もステージがアップし、高収入となっている。私はどうかといえば、何十年もまったく変わらず、ひたすら少ない給料から何某かの貯金をし続けているような状況だ。汚れたウィンドウから見る数々の出世劇は、その一つ一つが興味深い。人が社会で伸びていく様子は、自分自身が停滞し続けているだけに、たっぷりと屈辱感や劣等感を味わわせてもらった。おそらくそれで何か学ばなくてはならなかったのだろう。停滞するとは、自分がより強固に、人様から影響をうけなくなっていくことだ。といっても、感性が枯渇したわけではない。びんびんと自分に向けられている否定的な一瞥を感じながらも、自分を貫いていく生き方を学んだ。子供時代からずっと持ち続けている夢を、今後の人生で必ず実現したい。それは、「魔法使いになる」という夢だ。小説世界でそれを実現しようと考えた時期もあったが、現在はそれだけにとどまらず、現実世界で夢を実現したいと思うようになった。