投稿

5月, 2022の投稿を表示しています

挨拶

 出世した自分とはまったく関わりのない人間に、改めて挨拶したくなるときって、どんな時だろうか。相手との差が歴然と開いてみえる自分が幸せすぎて、そのことを、出世とは無縁な人間に自慢したくなるときだろうか。最近、そういったことがあった。唐突にこちらに近寄って来てその人は、世間話をひとしきりしたあとに、またどうぞよろしくお願いします、と言った。そのとき、出世する人というのはやっぱりちがうなあと思った。どうでもいい人にまで、ちゃんとここに自分がいると、その存在をアピールし続けるという努力を決して怠らない。空気のように職場に漂っているだけの人間には、とてもできない芸当だ。

変化のとき

変化には二通りあります。外面的変化と内面的変化です。外面的変化は人から見てあきらかな変化で、昇進とか降格とか、転勤とか結婚などです。内面的変化はその人にしかわからない変化で、これにも二種類あります。横の変化と縦の変化です。横の変化とは、好奇心の変移とか、誰かを好きになったり嫌いになったりなどの感情面での変化です。ここまでは自分の意識下の変化ということができます。しかしここで問題にしたいのは、縦の変化です。縦の変化こそは、自分の無意識の変化です。この変化がおきるとき、過去にあった悔やんでいる出来事が、意識上に浮かんでは消えを繰り返します。何度も、もう思い出したくないような事柄が、鮮明な画像となって頭の中を駆け巡ります。とても苦しく嫌な経験です。すべてが出てしまうまで、それは何度も繰り返しておこります。毎日、過去の自分がしてしまったことに祈りをこめて過ごすことになります。しかし、このつらい時期を終えたとき、無意識の領域に大きな変化がおき、羽がはえたように心が軽くなり、躊躇なく次のステップを踏むことができるようになっています。

蟠桃(バントウ)

蟠桃という名の桃がある。形は平べったくていびつだが、甘くておいしい桃だ。かの中国の物語に登場する孫悟空が、不老長寿を願って食べた桃とも、古事記に登場するイザナギが、黄泉平坂で邪気払いに投げた桃とも言われている。蟠桃の蟠という字は、虫偏に番と書き、この字は蛇がとぐろを巻く様子を表している。 とぐろを巻いた蛇から何を連想するだろうか。人間の抱く不平や不満をこの字は象徴している。とぐろを巻くとは、身をかがめて、不平不満に満ち満ちて、自分ではどうにもならないほど怒りのこみあげてきている状態だ。とぐろを巻いたあと、次にどういった展開があるだろう。

停滞運

 40年間ずっと、自分にとってよくない星が巡っていた。四柱推命でいう大運は10年区切りで運が変化していくが、それが40年間、これ以上ないほどの悪い星の巡りだった。生まれた瞬間に決定した命を車だとすると、大運はその車が走っていく道や天候を表している。18歳から58歳まで、どしゃぶりの、ぬかるんだ道を走ってきた感じだ。泥をかぶりながら、汚れたウィンドウから外の景色を眺める毎日だった。ある時期、わたしにもチャンスらしきものが来た。チャンスは人がもたらすものだ。その時その人は、自分自身があまりにも豊かなので、あちこちにチャンスをばらまいていた。しかしながら、その時はせっかくのチャンスに食いつけなかった。それまでの自分を捨てて、新しい自分に賭ける勇気がなかったし、自分を変えたくなかった。その人のもたらしたチャンスに食いついた人々は、それから何年か後には、みんなそれぞれに出世し、社会的に何段階もステージがアップし、高収入となっている。私はどうかといえば、何十年もまったく変わらず、ひたすら少ない給料から何某かの貯金をし続けているような状況だ。汚れたウィンドウから見る数々の出世劇は、その一つ一つが興味深い。人が社会で伸びていく様子は、自分自身が停滞し続けているだけに、たっぷりと屈辱感や劣等感を味わわせてもらった。おそらくそれで何か学ばなくてはならなかったのだろう。停滞するとは、自分がより強固に、人様から影響をうけなくなっていくことだ。といっても、感性が枯渇したわけではない。びんびんと自分に向けられている否定的な一瞥を感じながらも、自分を貫いていく生き方を学んだ。子供時代からずっと持ち続けている夢を、今後の人生で必ず実現したい。それは、「魔法使いになる」という夢だ。小説世界でそれを実現しようと考えた時期もあったが、現在はそれだけにとどまらず、現実世界で夢を実現したいと思うようになった。