運命学へ(71)
純文学は人生の意味を深く掘り下げていくのが本義だが、エンターテインメントのストーリーは違う。それは、人生が生きるに値するものであると伝えることが使命なのだ。だから、どきどき、はらはら、わくわく面白いということが第一になる。作品の社会的な意義とか、歴史的な意味とか、哲学的な本質とか、そういった類いのものは、純文学だったら不可欠な要素だろうが、エンターテインメントでは関係ない。そういう観点から言うと、エンターテインメントのストーリーには読者への気遣いがある。いかに読者の心を揺さぶり、いかに読者をくぎ付けにし、いかに読者にカタルシスを味わってもらうか。何を描くかよりも、いかに描くかのほうに重点が置かれているのだ。人生に意味を求めることが無意味である時代に生きるのは、手ごたえのなさを生きることだ。そういった中で自然体で自分らしく生きようとするならば、心の振れ幅を大きくすることが重要だ。心は硬直させてはならない。私たちには身体だけではなく、心のエクササイズが必要だ。