運命学へ(50)
袁了凡が運命について語った本がある。その本のなかでは、孔老人という易者の予言通りに人生が展開していったことで、宿命観から逃れられずに運命に支配され、運命の奴隷と化した筆者が、雲谷禅師の立命の教えによって自身の考えを正され、自らの意思で運命を好転させることができるという真理に至った経緯が劇的に描かれている。人の運命を構成する三つの要素(記憶や遺伝・生育環境、星の運行、霊性)を考えれば、星の運行のみで運命が決定するわけではないので、納得できる物語である。袁了凡は実践篇として、運命転換のために、善行と積徳の重要さを説いている。後天的な精進・努力によって自らの霊性を高めることは可能である。そのためミラーがひたすら自己内部の潜在意識の浄化に集中したのに比べると、袁了凡はもっと積極的に外側世界に向けて働きかけている。ミラーは浄化という名の引き算、袁了凡は徳積みという名の足し算だ。この違いはおそらく、両者の性格、素質、思考、東洋と西洋の文化的地盤に起因する方法論の違いであるように思われる。