運命学へ(42)

はじめて高校の同窓会に参加したとき、自分がどういった高校生活を送ったのか、クラスメイトの顔を眺め見ているうちに明らかになった。顔には、その人の人生が表われ出る。同窓会会場の中で見かけた顔が、ほとんど見知らぬ顔だったのは、断片的な記憶をいくらつなぎ合わせても、人生を集約した顔の現実把握には至らなかったためだ。高校生当時は決まった友人としか話をしなかったことを思い出し、改めて内向的な高校生だった自分を確認した。それぞれの顔と当時の集合写真とを見比べながら、半端なく時が経っていることを思い知らされた。みんなから注目を浴びていたり噂になっていたのは、某テレビ局アナウンサーの同級生や誰でも知っている超有名企業のCEOになった同級生、若くして亡くなった同級生だった。選抜制の公立高校なので、みんな、入学当時はさほど学力には差がなかったはずだが、その後何十年も経つと、千差万別の、天と地ほどの大きな差異が生じていた。まるで王様と乞食のように。同窓会に参加していること自体、少なくとも平均的な人生を歩んでいる証拠だから、実際、一番成功している人物と一番成功していない人物との差は、何万光年もあるかもしれない。人様の運命について深く考えさせられた日だった。

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