運命学へ(38)
ヘンリー・ミラーの小説によると、「知識の道」を選ぶと、あまりにもみじめで孤独な死という結末になるということだが、これが真実なのかどうかはわからない。なぜなら、死は生命体の究極目的であり、何人もこれを避けて通ることはできない。人はこの世に生まれ出てくるときも一人(多胎妊娠でないかぎりは)だし、死ぬときも一人(集団自殺とか心中などをしない限りは)だ。野生動物が死期を悟ったとき、どうするか。かれらは群れを離れてひとりひっそりと死ぬ。いま巷で老人の孤独死が問題にされているが、問題となるのは死後の遺体の行く末であって、死そのものではない。群れを離れてひっそりとその時を迎えるというのは、動物として本能的なものではないだろうか。人間も動物の種と考えれば、本能にしたがって、ひとりひっそりと死ぬ死に方を選んだとしても、おかしくはない。家族にみとられて畳の上で死ぬというのが、長らく人の死に方の理想とされてきたが、それだけが価値ある人の死に方とは思えない。