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運命学へ(68)

可能性の物語。若いから可能性がたくさんあるというわけではない。多くの可能性をもって生まれ、たったひとつの可能性を選択して死んでいく。生きるとは絶え間なく選択し続けることだ。だから運命式を見たときに、まず最初に注目しなければならないのは、その人の最後の可能性だ。結果とか目的という言葉で置き換えることもできる。劇でいうラストシーンだ。このラストシーンに向かって、すべてが緻密に構成されて進行していき、クライマックスで激しく爆裂する。振れ幅の大きい人生は面白い。

運命学へ(67)

四柱推命の運命式から、いくつもの物語を劇的に描く方法論の確立まであと少しだ。物語の構成については、ここ何年か考え続けてきた。命式にある八文字を使って、ある性格や個性、先天的に備わった才能をもつ主人公に、いつ、どんな対立要素が現れて、それがどんな風に展開していくのか。クライマックスはどうなるのか。また結末に向かって、何を用いれば物語が面白くエキサイティングなものになるのかをずっと考えてきた。四柱推命の命式からは、どういった課題を背負ってこの世に生まれてきたのかのような、生まれてきたミッションみたいなものがわかり、それが最終的にどういった結末になるか見当がつく。人生を生きる目的は何なのか、何が障害になり、何が助けになるかもわかる。また、生きていく上で、どういった天候のなかを歩まねばならないかもわかる。これだけの要素があれば、一人一人ちがった物語が幾通りにも描ける。自分にしかできないこと、やっていて時間を忘れてしまうこと、最高に喜びを感じることは何か。

運命学へ(66)

四柱推命は『老子』に思想的影響を強くうけている。二千数百年前に書かれた『老子』は、同時期に成立したとされる『論語』とは違って、ある限定された人物による書物であるという確証がない。その根拠として一つには、『論語』のように、具体的な地名や人名がまったく書かれていないことがあげられる。『老子』は全篇が抽象的な議論に終始しているのだが、そこには深い人生訓ともいうべき人生のエッセンスがつまっている。通説にしたがって「道」を、世界を世界たらしめている根源的で普遍的な作用と考えて、この「道」の働きが具体化したものを「存在」とすると、『老子』においては「道」と「存在」は一体化している。ヨーロッパの伝統的形而上学のように、それらは別個のものではない。「存在」の前後左右に「道」などないのである。

運命学へ(65)

東アジアの思考基盤となっている二つの書物は、『論語』と『老子』である。『老子』のキーワードになっている「道」という言葉は、安富歩氏の解釈によれば、「ものごとを成り立たせる不可思議な力」を意味している。この力は、減ることもなければ溢れることもなく、万物の淵源から発しており、尖った心をやわらかくし、縺れた関係を解きほぐし、光を調和させ、汚れを清める働きがある。『老子』によれば、人がよく生きるためには、身体を通じてものごとを感じること、つまり感性を豊かにすることが肝要なのである。感性が豊かになると、この世界の根源である母なる神秘と父なる神秘を体感し、権力者の話にまどわされることなく、自らの内なる声に従って、自分自身の心を自分で統御して生き生きとした生を生きるようになる。「道を得て真理を聞こうとする者は、日々何かを捨てる。これを捨て、また捨て、そうして無為に至る。無為であれば、為しえないことなどない」

運命学へ(64)

一歩踏み出すとどうなるか。たくさんあった可能性が一挙に少なくなる。顔がある方向を向くことで、見えなくなった可能性はすべて消えてしまう。もはや意識世界に存在しなくなってしまうのだ。二歩、三歩と歩むうちに、少なくなった見えている可能性に、どんどん集中するようになる。そうなると、普通の人よりも目指すそれを深く見れるようになり、うまく出来るようになる。だから、可能性を減らしていくことこそが成功への道となる。「あなたにはたくさんの可能性がある」なんて言葉にまどわされてはいけない。自分の可能性は、少なければ少ないほど成功する。それに取り組む集中力が、大きければ大きいほど成功する。

運命学へ(63)

人は自分の価値を知りたいのだ。自分のことを誰かに何らかの言葉で表現してもらいたいのだ。とくにそれは若い世代に顕著だ。若い人は視界が360度に開けている。どの方向に足を踏み出すか、いろいろと思案している。一歩足を踏み出したら、その方向に顔が向き、歩むべき道が見えてくる。だから、その一歩をどう踏み出すかが大問題となる。誰しも成功の道を歩みたいのだから。だからごく若い時に、自分で自分の道を見出せない場合は、いろいろな立場の人に、自分のことを表現してもらう機会を多く持つようにすればよい。自分の外に出ずに、自分のなかに閉じこもって考えても妙案は浮かばない。たとえ自分に対して発せられた言葉が否定的なものであっても、その言葉を聞いたときの自分がどう思ったかが重要だ。その言葉が気に入ったのなら、ずっと気に入ったままでよい。もしその言葉が気に入らなかった場合は、それがなぜなのか、じっくりと考えるきっかけにしたらよい。

運命学へ(62)

二十代前半のころ、当時は占いマニアだった。街中を歩き回って評判の占い師をみつけ、いつも決って同じことを訊いた。「将来は何をしていますか」と。そのときの占い師の答えを集めて書き出してみる。1、分厚い本を読んでいます。あなたは本を見て何か考え事をしている映像がでてきます。そんな仕事をしているのではないですか。(霊感占い)2、あなたは必ず外国にいきます。(四柱推命)3、あなたは前世に外国人とかかわっていました。(霊感占い)4、あなたは中近東から日本にやってきました。(霊感占い)5、良い配偶者と縁があります。(四柱推命)6、音楽ではなく語学をやりなさい。(四柱推命) 何十年も時間が経過したいま、わたしはどうなったか。4番は確かめようがないが、それ以外はほぼ予言通りになっている。他にもいろいろと言われたかもしれないが、それが記憶されていないのは、可能性として差し出された占い師の言葉を、とどのつまり、自分が無意識のうちに選び取って実践した結果ではないだろうか。

運命学へ(61)

はるか昔、殺人犯にナンパされたことがある。はっきりとその名前を書くのは差し控えるが、その犯人は大量殺人者ということで異例の速さで死刑になった。当時のことは鮮明に覚えている。仕事の帰りだった。いつものようにJR大阪駅の近くにある横断歩道を歩いていたら、あとをつけてきたと思われる三十代の男に声をかけられた。「歩くのが速いですね。追いつくのに走りました」と男は息をきらせて早口でそう言った。わたしはその当時、毎晩のように布団の中で人相の本を読んでいた。本を読みながら寝ていたといったほうが正確かもしれない。その本に「面肉横生」という人相について書かれた箇所があった。顔が横方向に引っ張られた感じの人相なのだが、具体的にどういった顔なのかは漠然としていてわからなかった。しかし男の声で振り向いて近い距離から男の顔を見たとき、この顔こそが面肉横生にちがいないと確信した。男は名前の横に精神科医という肩書のある名刺を差し出し、近くでお茶を飲みませんかと誘ってきた。名刺をいきなり差し出したことや、その肩書が精神科医になっているのはおかしなことだった。すぐに面肉横生の人相は「極めて残忍」と本に書いてあったのを思い出したので、その申し出は丁重にことわった。それから半年後だった、あの事件がおきたのは。もうあれからずいぶんと時間が経過しているが、今でもあの事件を記憶している人は多いと思う。それほど衝撃的な事件だった。あの日、テレビに映し出された犯人の顔を見て、わたしは心底から驚愕した。

運命学へ(60)

黒い色は顔のどこに表れてもいいことはない。ある時、歯の黒い人に出会った。まだ二十代後半くらいの若い女性だったが、口を開けて笑ったときに、虫歯ではないのに見えていた歯が全てやたらに黒かった。何か異様な感じがしたので記憶に残っているが、その人は職場での責任の重さに耐えきれず、その後辞職した。病気になる寸前で辞めたのだと思う。両目をまたいで走る黒い影とか、耳の前に縦に走る黒い気色には注意が必要だ。もし仕事を辞めたいと思っているのなら、一刻もはやく辞めたほうがいい。命のほうが仕事よりも大切だ。じっくりと養生して、生き生きとした陽の人相に変えて、新たに人生をやりなおせばいい。まず顔だ。顔を陽相に変化させることを考えたほうが結果もいい。それには心持ちを変えること。この一言に尽きる。

運命学へ(59)

ちょうど眉間にあたる所を人相学では「印堂」と呼ぶが、そこは別名「命宮」といって、その人自身の現在の運勢を表わしている箇所である。その人の他者との関係や災難など、一身上の吉凶が全て表われる。その人が過去の出来事をどのように捉えているのかは、眉間を見れば一目瞭然だ。過去にどれほど嫌でつらいことがあっても、それをプラスに転換することができる人は陽相の顔をしているし、逆なら陰相となる。眉間がきれいなことは、陽相のひとつの特徴である。そういう意味では、たとえば顔そりのときなどに、カミソリで不用意に顔に傷をつけるようなことは断じてあってはならないし、過ぎてしまった過去を思い悩んでいても、人相を悪くするだけだ。もし過去をプラスに転換することができなければ、きっぱりと忘れてしまうに限る。そうしないと、自分で自分の運勢を悪くしてしまう。あるとき、この印堂に大きなおできができている人がいた。そういう人をめったに見ることがないので、印象深く覚えているのだが、その人はその後すぐに職場を去り病気療養に入った。おそらく最も凶兆のでていた時期に、その人にお会いしたのだと思う。こうしたことを経験したあとは、人に会ったら真っ先に眉間を見るようになった。眉間のきれいな人は、過去にあった出来事をむしかえして責めたりはしないし、総じて寛容だ。人を恨むこともない。

運命学へ(58)

人相見はその人の現状を知るのに、まず最初に目を見るそうだ。人の思いが人相に表れる。思いは重いに通じるので、心に重い荷物を抱えていたり、邪なことを考えていたり、誰かを嫉妬していたりすると、目が暗く澱んでくる。爽やかさや清らかさを感じさせるような光が目から消えるのだ。高知に行ったとき、人相見に目のことを指摘されたが、今になって当時の自分がいかに重い心を引きずって生きていたのかがわかる。当時はまともに人の顔を見て話ができなくなっていた。自分のことが信じられず、何事に対しても確信や自信が持てず、家族のことで悩みが尽きなかった。目は心の窓という表現があるが、まさしくその通りだ。

運命学へ(57)

食事の席で、人相見は言った。 「今朝、額に赤い線が入っていた。遠方から人が来るときに入る。あなたのこと」 わたしはさすがは人相見だと思った。食事しながら、ときどき顔の皮膚の下にある何かを探るような目つきで見られているのを感じた。わたしはそんな風に見られることに慣れておらず、初対面の見ず知らずの人と食事していることもあり、まともに相手の顔が見れなかった。何を話したのかあまり思い出せないが、「自分の顔は若衆面で、やはり若衆面の人と相性がいい。これにはいろいろな因縁があってなあ」とつぶやいた様子と、「あなたは、あとは目やなあ」とわたしの顔をじっと見て言った言葉が印象に残っている。次の日、早朝のバスで帰路についた。これで人相見との一件は終わりなのだが、随分と大胆な厚かましいことをしたものだと思う。最近ひょんなことから、あの人相見は日本の観相界の第一人者と評されるほどの人物になっていることを知った。名前と顔を確かめたが、確かに高知で食事をご馳走になった人相見と同一人物だった。なぜあのとき、あの人相見はあれほど親切にもてなしてくれたのだろう。わたしの顔に何か不穏なものが現れていたのだろうか。もう一度現地に行って、今度は食事をこちらがご馳走させていただく機会に恵まれることを祈りたい。おそらくわたしのことなど覚えていないだろうけど。

運命学へ(56)

高知に到着し、本に記載されてある地図どおりに歩いて行ったら、人相見の指定した場所に行き着いた。その人相見は決まった事務所で鑑定をしているのではなく、商店街のある一角で仕事をしていた。わたしが腰をおろしたのは、アーケードとアーケードの間に設けられた広場におかれたベンチだった。ほんとうにそんな場所に人相見が姿を現すのか、なんてまったく疑いもしなかった。五分ほど待っただろうか。和服姿の中年男が、わたしの名前を呼んだ。写真と寸分たがわず非常に整った顔立ちの男が、目の前に立っていた。この人があの本の著者なのかと妙に感心しながら、わたしは通り一遍の挨拶をした。近くのコーヒーショップで鑑定がはじまった。とにかく晩年がいいという言葉以外、ほかにも何か言われたが、いまとなっては思い出せない。ただどういうわけか、その人相見は、本を読んで遠いところからわざわざ来てくれたんだからと歓迎してくれて、鑑定後に近くのレストランで食事を奢ってくれた。

運命学へ(55)

いまよりずっと若いころ、本屋でどうしても気になって買った本がある。それは人相について解説した本だった。著者の顔写真が裏表紙に載せてあった。俳優さんのように整った顔立ちだった。わたしはその本の内容はもちろんのこと、それ以上に著者に興味を持った。その本には、高知のとある商店街の一角で人相占いをしていると記載があった。詳しい住所や連絡先も書かれており、わたしはその占い師に電話で人相占いの予約を入れ、高知まで高速バスにのって出かけて行った。いま考えても、この一連の行動にはあきれてしまう。普段は石橋をたたいても渡らないような性格なのだが、いったん何かに興味を持つと、そういった性格とは逆のもう一つの性格が顔を出す。そのときわたしの頭にあったのは、その人相見に会うことだけだった。なぜそのとき、その人相見に会わなければならないと思い込んだのだろう。

運命学へ(54)

昔、「誰にもなりどきの10年間がある」という言葉を聞いたことがある。これはひょっとしたら、自分をあらわす干と行運の干が干合している10年間のことを言うのではないかと考えた。そう考えると、たいていの人に、その人にとっての発展の10年間があることになる。この時期は対外的に大きく伸びる。ここで伸ばせるだけ伸ばしておくほうが良い。この時期をうかつに平凡にやり過ごしてしまうと、もうこの時期ほどの発展のチャンスは巡ってこない。そう考えて改めて自分の運命式を確認すると、わたしにその時期が巡ってくるのは78歳からだった。まだまだ先の話だが、世間の平均余命を考えると、その年齢はおそらく生存しているので、人生の最後の10年間がもっとも実りある時期になると考えることにした。その年までこれといってわたしの運命式には発展の時期はないが、だらだらうつうつと耐えているだけの人生にするつもりはない。

運命学へ(53)

『易』は英訳すると、The Book of Changes となる。つまり「変化の書」である。ここで、変化するのは「時」である。『易』で意味する「時」とは、時(時間)、処(場・状況)、位(人間関係・地位)をさしている。相対するものが対となって作用することで変化が生じるという陰陽思想を土台にしている『易』では、変化については肯定的な捉え方がされている。つまり「易は変を尊ぶ」のである。この変化するからこそ発展があるという考え方をそのまま干合にあてはめて考えると、自分を表す干と行運の干が干合するときは、発展の大きなチャンスということになる。このチャンスが一生のうち一度も巡ってこない人もいれば、若年のときに巡る人、老年になってようやく巡ってくる人と、様々である。比較的若いころに巡ってくれば、若さのもつエネルギーとも相まって、その発展ぶりは目を見張るものがあるだろう。

運命学へ(52)

金谷治氏の『易の話』を読んだ。『易経』は中国最古の書と言われ、四書五経の最高峰であり帝王学の書である。『易の話』によると、『易』には二つの側面がある。一つはうらないの書としての『易』であり、いま一つは思想・哲学の書としての『易』である。『易』のこうした側面は、それぞれ別個に発展してきたわけではなく、密接につながって連関している。なぜならどちらにせよ、人の生き方に関心の中心があるからである。『易』には、時代や研究者によって、こうした側面の一方に重心が振り子のように揺れてきた歴史がある。『易』では、陰陽は互いに相反しながらも、交ざりあおうとして大きな循環をおこし、あらたな進化をすると考える。干合という干の組み合わせがおきるとき、たとえば自分を表す干と行運の干が干合するときなどは、あらたな変化が自分におきる時と考えられる。以前、ある占い師が、干合は病気になる時期だと言っていたのを思い出す。自分に何らかの変化がある時期なのだから、その一つの可能性として、自宅ではなく病院で日々を過ごすといったこともありうるかもしれない。しかしその可能性のみが真実とは思えない。命式にもよるが、干合の時期は、自己変革がもっとも時機を得てうまくいくときでもありうる。貧乏人が金持ちに、無名の人が有名に、といった変化もあるだろうし、その逆もありえるのだ。

運命学へ(51)

四柱推命で用いる十干にはそれぞれ干同士の関係があるが、とくに干合の関係に注目してみたい。干合とは、甲と己、丙と辛、戊と癸、庚と乙、壬と丁の五つの組み合わせで、互いにしっかりと抱き合って離れない強固な結びつきの関係である。それぞれが陽干と陰干のペアになっている。これはもともと、中国の易で採用されている自然哲学としての陰陽思想に基づいている。陰陽思想はまた、この宇宙には陰と陽の二種類の気が充満しており、それが人間世界にゆきわたって浸透しているため、人間と自然の間には必然的な感応関係があるとする天人合一思想でもある。この思想のもと、人間世界の秩序は宇宙自然界の秩序と一致するのである。陽干同士、陰干同士(たとえば甲と戊、乙と己)ならば、たがいに排斥しあう反対、相容れない矛盾した関係となるが、これが陽と陰の組み合わせになると、逆にたがいに引き合う関係、相手があることによって自己があるという関係になる。たがいに対立しながらも、たがいに相手の存在によりかかって共存している関係、対立とともに依存のある関係である。これを中国のことばでは、対立ではなく対待(たいたい)という。まるで男と女の関係のようだ。

運命学へ(50)

袁了凡が運命について語った本がある。その本のなかでは、孔老人という易者の予言通りに人生が展開していったことで、宿命観から逃れられずに運命に支配され、運命の奴隷と化した筆者が、雲谷禅師の立命の教えによって自身の考えを正され、自らの意思で運命を好転させることができるという真理に至った経緯が劇的に描かれている。人の運命を構成する三つの要素(記憶や遺伝・生育環境、星の運行、霊性)を考えれば、星の運行のみで運命が決定するわけではないので、納得できる物語である。袁了凡は実践篇として、運命転換のために、善行と積徳の重要さを説いている。後天的な精進・努力によって自らの霊性を高めることは可能である。そのためミラーがひたすら自己内部の潜在意識の浄化に集中したのに比べると、袁了凡はもっと積極的に外側世界に向けて働きかけている。ミラーは浄化という名の引き算、袁了凡は徳積みという名の足し算だ。この違いはおそらく、両者の性格、素質、思考、東洋と西洋の文化的地盤に起因する方法論の違いであるように思われる。

運命学へ(49)

ミラーには、五回結婚、五回離婚という華々しい婚姻歴がある。最後の妻は日本人だ。狂信的に愛することに熱中するあまり結婚という事態を招いてしまうのだが、結局、退屈な現実生活である結婚を維持する資質に欠けていたため、何度も離婚する羽目になった。日本人妻の証言によると、結婚前、誕生日が11月14日だったことが、ミラーの恋心を奮い立たせる要因になったらしい。11月14日生まれの東洋人であることが、ミラーにとって何か格別の意味があったのだろう。当時のミラーは七十歳をゆうに超えていたから、老体を鞭打っての、相当に入れあげた恋だった。八十歳を超えて、とうとう五番目の妻とも破局を迎えてしまうことになったが、その後もモデルの女性に恋をし、ラブレターを送り続けた。八十八年の人生のなかで、ミラーは最後まで誰かを狂信的に愛し続けるという自分の姿勢を貫いた。しかしその愛の質は、相手にどういった影響を与えたのであろうか。離婚後に自殺した女性や罪を犯した女性もいて、傍目にはどの女性も離婚後に幸せな人生を送ってはいなかったように見える。

運命学へ(48)

母親を描くこと、これがミラーの最後の最後にあった大きな課題だった。最晩年に書かれた小説『母』は、感情的に許せなくて、実人生でどうしようもなくすれ違ってしまった母と、死後に幽界で出会って和解する物語である。この小説を描くことで、ミラーは自分の潜在意識にある欠落部分を満たし、その後小説を書かなくなった。もう書く目的を達成してしまったので、書く必要がなくなったのだ。自分にふりかかった不運は、全てが母親の胎内から生まれ出た瞬間からはじまった。それゆえ自分の運命を改善するには、いったん母親の胎内にもどって、いろいろな嫌な記憶や感情を消し去る必要があると考え、それらを小説世界で再現しながら、自己内部の潜在意識に巣食った記憶の浄化に努めたのである。自分のなかにある事実や感情を浄化するために、どうしても一連の作品(パリ在住のときの作品)を描く必要があったのである。その後は運命が改善され、ミラーは無名の貧乏作家から一躍有名作家として活躍の場が与えられることになる。ミラーがパリ在住時代にやったことは、自分の潜在意識の浄化だったのである。

運命学へ(47)

ヘンリー・ミラーの特徴を一言でいえば、時を超越して子宮世界に生きる人間を描く作家ということになるだろう。八島氏の運命学の本を読み進めるうちに、どうしたことか、ミラー文学への理解がさらに深まった。こうしたことはめったに起きない。そこで、どこに両者の接点があるのかを考えてみた。どちらも見据えているのは「運命」である。ただ視点が違う。八島氏が誕生後の世界から人間の潜在意識を見ているのに対し、ミラーは誕生前の、潜在意識が支配する母親の胎内から意識世界を見ている。意識の世界から潜在意識の世界を見る八島氏と、潜在意識の世界から意識の世界を見るミラーという対立した構図になる。ミラーの小説は、ストーリー性の欠如や暗号のような専門用語が多用されていることが欠点として評されてきたが、それはまったくヘンリー・ミラーという作家が正当に評価されてこなかったことの証拠である。ミラーは潜在意識の世界を描いた作家として、もっと高い評価がされてもいい作家である。なぜならば、八島氏も認めているが、潜在意識にこそ運命改善のヒントがあるからだ。

運命学へ(46)

「配偶者の運命情報が互いの感情器官に出てくる」と八島氏は言う。夫婦喧嘩は「自分の心の中にある不安定な感情が相手を通して現れている」現象ということだが、おそらくこれは、まだ離婚に至っていない夫婦を対象にしているのだろう。相手の感情器官と自分の感情器官が連動していなければ、相手の言葉は理解不能となり、結婚生活の破綻は必至だ。まったく理解できない相手と暮らしていくことは、想像を超えて難しい。結婚するときに、相性占いをする人が多い。そのとき占い師は何に注目して、相性がいいとか悪いとか判断するのだろう。結婚は、自分を表す干支と相手のものを突き合わせて、単におみくじ的に判断すべき事柄ではない。自分の潜在意識が自分にとって最高の修行になる相手を選ぶと考えれば、干支の関係が悪いとか、縁がないとか、通変星が敵対するとかは問題にならない。離婚は、相手が悪いためにおこる出来事ではない。自分の運命式と行運の五行バランスがくずれて、偏ったり不安定になる時期に離婚は多く発生する。すべてを引き起こしているのは自分なのだ。

運命学へ(45)

運命を決める要素として、八島氏は次の三つを挙げている。1. 環境的要因(親、遺伝、居住地域など)、2.天体による影響(惑星や恒星などの自然界の運動)、3. 霊的な影響(生まれ変わりを繰り返す実体の影響)。八島氏が高野山大学密教学科の出身であることを考えると、その基礎的な思考に仏教の要素が色濃く反映されているのは理解できる。また、高校生のときに金縛りや幽体離脱経験をしていることから、霊魂が存在することを実感的に肯定する立場にたっているのも頷ける。なぜならばわたし自身、中学生とか高校生のときに、八島氏と似たような経験をしているからだ。わたしの場合は、さらに加えて、ラップ音や、そのときまさに病院で臨終の床につこうとしているはずの祖父の声を聞いた。怖いというよりも不思議な体験だった。八島氏は自らが幽体離脱を経験したことから、臨死体験についても語っている。そこでは死は、生命体の終わりではなく、魂の繰り広げる心理劇の一時休止として扱われている。

運命学へ(44)

四柱推命では、推命するときに必ず、各個人に特有の十年ごとの運気変化をみる。八島高明氏の運命研究書には、「周期の変化が人間の心理構造を変化させて、違う人格を作り上げ」、また「人格が一生涯にわたり変化しないと考えるのは、私たちのただの思い込みにしか過ぎない」とも書かれている。正直なところ、この記述には衝撃を受けた。人格は、十年とか二十年で変化していくものなのだろうか。いままで十年周期でめぐってくる行運については、周期が変化するにつれて、自分を取り巻く環境が変わっていくと考えていた。運気というのは、自分の外側が変化し、その影響が自分の内部に及ぶという方向性ではなく、八島氏の言説に従えば、自分の人格がまず変化し、それが自分の外側に及んでいくのである。命式を先天運、行運を後天運とする考え方に何らの疑問も抱いてこなかったが、ここにきて行運の解釈に新たな可能性を見出した。自分自身の命式を車、行運を車が走る道とすると、車が走る道が変化するのではなく、自分自身を表す車自体が変化するのだ。こうなれば、軽自動車がベンツやフェラーリに変化することも、その逆もありうる。

運命学へ(43)

心が運命を決定する、と最近読んだ運命本(八島高明著、運命シリーズ)に書かれてあった。著者によると、心には五つの器官があり、その一つ一つが特徴的な働きとエネルギーを持っている。著者は長年にわたって様々な占術を研究し、その中からとくに四柱推命の的中率の高さに注目して、四柱推命の理論から、心を構成する五つの心理器官という考えを引き出すに至った。著者がなしえたのは、四柱推命理論の根幹にある五行説の、心理学の立場からの理解と応用である。著者は長年集めた実占データから、四つの関係のうち特に「制」といわれる、自分を剋する五行と自分を表す五行との関係に重きをおいている。著書では「理性器官」と表現されているが、その名のとおり、自分を客観的に見つめなおして、必要な忍耐を自分に強いて、自分の暴走を封じ込める役割をもった器官である。自分とこの器官の関係がアンバランスになると、社会に適応できなかったり、失職したり、名誉や財産を失うことになる。心を五つの心理器官に分けたこと自体にはさほどの目新しさは感じなかったが、誕生時の産声と言われる最初の呼吸に着目し、「制」の関係に焦点をあてている点には強く興味をそそられた。

運命学へ(42)

はじめて高校の同窓会に参加したとき、自分がどういった高校生活を送ったのか、クラスメイトの顔を眺め見ているうちに明らかになった。顔には、その人の人生が表われ出る。同窓会会場の中で見かけた顔が、ほとんど見知らぬ顔だったのは、断片的な記憶をいくらつなぎ合わせても、人生を集約した顔の現実把握には至らなかったためだ。高校生当時は決まった友人としか話をしなかったことを思い出し、改めて内向的な高校生だった自分を確認した。それぞれの顔と当時の集合写真とを見比べながら、半端なく時が経っていることを思い知らされた。みんなから注目を浴びていたり噂になっていたのは、某テレビ局アナウンサーの同級生や誰でも知っている超有名企業のCEOになった同級生、若くして亡くなった同級生だった。選抜制の公立高校なので、みんな、入学当時はさほど学力には差がなかったはずだが、その後何十年も経つと、千差万別の、天と地ほどの大きな差異が生じていた。まるで王様と乞食のように。同窓会に参加していること自体、少なくとも平均的な人生を歩んでいる証拠だから、実際、一番成功している人物と一番成功していない人物との差は、何万光年もあるかもしれない。人様の運命について深く考えさせられた日だった。

運命学へ(41)

一生のうちに何度、ずっと記憶に残る出会いを経験できるだろうか。振り返ってみると、それが同性であれ異性であれ、その人の表情や服装、かわした言葉までを瞬時に思い出せるような出会いはきわめて少ない。正確には二度目とか三度目にお会いしたときの印象を覚えていたりするが、その二度目や三度目がその人との本物の出会いだったのだ。自己外部に漂う微弱な見えない力--惑星の運行と関わっているーーと、現実の体験から湧き上がってくる自己内部の感情が複雑に絡み合い、いつまでも忘れられないひとつの像を記憶に刻みつける。初恋の人をいつまでも忘れられないという話はときどき聞くが、わたしにはそういった感傷的なところがない。初恋の人なんて、まったく思い出せない。第一、誰が初恋の人だったのかも判然としない。そのときの相手の表情、言葉、雰囲気などを、断片的にであれ鮮明に思い出すことができるというのは、じつはそれが人生の稀有な経験の一つであることの証拠であり、自分の運命式と関わるとてつもなく大変なことなのだ。

運命学へ(40)

死期といえば、師匠が「もうあと十年、十年、生きれない。こうしてぜんぶ書いてあるんや」と言って、干支をびっしりと書き込んだ大学ノートを開いて見せてくれたことがある。そのときは、学習の初期段階だったので、干支の配列を見ても何のことかわからなかったが、少なくとも師匠が自分の死期について語っているということはわかった。四柱推命は一般社会で生きる人間にのみ適用可能な占いであり、数ある占術の中で的中率がもっとも高いと言われているが、的中率をかぎりなくゼロに近づける方法も存在する。つまり、死期を的中させたくなければ、一般社会で生きなければよい。ひとり、山奥にこもって自給自足し、社会と断絶した隔離生活を送ればいいだけの話だ。自分の死期を語る師匠の不安な目の色を見ながら、そのように思ったが、口に出しては言わなかった。いまになって知り得たことだが、師匠が恐れる死期といわれる時期を、わたしは知らないうちに通り過ぎていた。もちろん命式や行運などの、様々な要素を総合的に考えていかなければならないが、一生のうち、何人にも幾度か死期といわれる時期がめぐる。しかし、そのどれで死ぬかはわからない。

運命学へ(39)

死期について語るのは、四柱推命ではタブー中のタブーだ。それは四柱推命だけがそうなのではなく、社会常識としてそういった話はしない。四柱推命を学ぶ上で怖いのは、学びを深めていくと、そういった事柄まで推命できてしまうことだ。そのあたりは覚悟し、はらを決めておかねばならない。若いころ、四柱推命で運命鑑定をうけたことがあるが、そのときの女性占い師が、悩みをかかえてしょげきったわたしにこう言った。「わたしな、今年、死期ですねん。もうここまで生きたら、死でも何でも、来るんなら来いですわ」と。その女性は七十歳を軽く超えているように見えたが、瞬きすることなく見開いた目がなんとも挑戦的だった。どうしてわたしに、自分に死期がきていることを無頓着な口調で語ったのだろう。誰かに言わずにはいられなかったのだろうか。まるで運命鑑定に来たわたしのように。

運命学へ(38)

ヘンリー・ミラーの小説によると、「知識の道」を選ぶと、あまりにもみじめで孤独な死という結末になるということだが、これが真実なのかどうかはわからない。なぜなら、死は生命体の究極目的であり、何人もこれを避けて通ることはできない。人はこの世に生まれ出てくるときも一人(多胎妊娠でないかぎりは)だし、死ぬときも一人(集団自殺とか心中などをしない限りは)だ。野生動物が死期を悟ったとき、どうするか。かれらは群れを離れてひとりひっそりと死ぬ。いま巷で老人の孤独死が問題にされているが、問題となるのは死後の遺体の行く末であって、死そのものではない。群れを離れてひっそりとその時を迎えるというのは、動物として本能的なものではないだろうか。人間も動物の種と考えれば、本能にしたがって、ひとりひっそりと死ぬ死に方を選んだとしても、おかしくはない。家族にみとられて畳の上で死ぬというのが、長らく人の死に方の理想とされてきたが、それだけが価値ある人の死に方とは思えない。