運命学へ(34)

二十世紀はそういう時代だったのだろう。自己の探求にとりつかれた世紀だった。しかし二十一世紀は違う。他者への愛こそが必要とされる世紀だ。他人様のことを思いやり、それを踏まえた上で、他人様への配慮が要求される時代なのである。まるで二十世紀以前の日本に戻ったかのようだ。そういう意味で、運命学は、自分以外の、様々な他者を知るための手段となり得る。わたしが他者に何か配慮しようとするとき、そこにわたしの奥底にあるわたしの本質的な姿が現れる。だから他者を知ることこそが、自分を知ることに結びつくのだ。悪い運命の命式を見て、わたしはどのようにしてそれを相手に伝えるのか。このときにわたしが相手に対してする配慮の内容にこそ、わたしの本質的な性格や人間性が露呈するだろう。しかし運命式を読み解いて内容を伝える占い師に、人はどれほどの価値を付与するのだろうか。そうした価値評価とは別次元で、二十一世紀の占い師は単なる運命式解説者ではなく、運命式協同開拓者とならなければならない。長らく文学研究者としての人生を送ってきたが、今後は、運命式協同開拓者としての自分像を描きたく思う。

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