運命学へ(33)
それがなぜか。長らく考えたが、最近になってようやく答えがでた。自分の考えの中に入り、自分の考えの中で悩み苦しんだ作品を、「真実」とか「現実」として受け止めようとしてきたわたし自身の態度に問題があったのだ。そういうふうにやっていると、自分の人生がひとつの虚構になってしまい、刻一刻と変化する時間の流れをまったく無視して生きてしまうことになる。わたしが研究してきた作家は、最晩年に自分というものを理解し、そのとき「もう、書く必要がなくなった」という言葉を残した。自己探求をテーマとして執筆してきたのだが、自分の正体を本当に悟ったときに、作品を書かなくなってしまったのだ。「書くことは生きること」とその作家は言った。しかし今になって思うが、その作家にとって書くことは、自分をより多く知ることだった。若いころのわたしは「書くことは生きること」の謎めいた言葉に大いに共感し、自分自身を不可知の存在として文学研究を開始した。しかし、どんなに研究しても、どんなに作家作品を読み込んでも、いつまでたっても自分を知り得ることはなかった。