運命学へ(11)
何と言っても今日はわたしの誕生日だ。わたしは占い師の言葉を、天の言葉として聞く心づもりをしていた。糞詰まり。これが天の言葉だった。とにもかくにもこの言葉こそ、わたしの第一歩に似つかわしい言葉なのかもしれない。このうさん臭い初老の男がどんな講釈をするのだろうか。占いに関する知識よりも、二十年もの間、この占い師が占いで生計をたててきたという事実に興味がわいた。一週間後、わたしは再び占い師の事務所に電話をかけ、入門を申し出た。占い師は上機嫌な声ですぐさま承諾した。人は自分の運命式通りの人生を生きる。わたしがその占い師の門下生になったのは、わたしの運命式通りの出来事だった。そう、占い師の言葉通り、詰め込む一方で成果のない停滞した運気なのだ。だから今は、ことさらに詰め込むことが正しい。わたしは自分の不幸さの只中に飛び込むことにした。占い師の思う壺だったにちがいない。