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運命学へ(37)

ヘンリー・ミラーの小説に、あるスイス人占星術師に肩入した主人公の、その人物との同居生活でおきた厄介ごとを描いた作品がある。自伝作家といわれるミラーであるが、その小説に実名で登場する占星術師のコンラッド・モリカンは、著作などもある実在した人物であり、カリフォルニアで実際にミラーと同居生活を送った。モリカンは、「信仰心が欠如」し、「あらゆることに対して答えがあり」、また「知識の道を選択した」陰鬱で貴族的な男である。いわゆる情報の塊であり、同時に鉄の意志をもち合わせているのがモリカンの特徴なのだが、占いに対して様々な意見を持っているミラーは、その感受性を批判的に駆使して「コンラッド・モリカン」という人物を創り上げるにいたった。占星術の世界では、長い間に集めた膨大なデータから抽出した理屈であらゆることを推し量るので、あらゆることに対して何らかの答えが用意されている。経験知ともいうべき「知識の道」の行き着くところは、小説の最後にあるように、「浮浪者の最期のように丸はだかで、鼠のように唯ひとり」死んだモリカンだった。

運命学へ(36)

若いころに読んだ四柱推命の解説書に、「命を運ぶものが運命」といった記述がされていた。いまでもそれを覚えているのは、その表現に当時たいへんな衝撃をうけたからだ。当時のわたしには、まったく意味している内容がわからなかった。命を運ぶとは一体どういうことか。辞書で「運命」を調べると、「人の力ではどうにもならない、人や物事がその後たどってゆくと考えられる道筋」とある。そこから類推すると、運命とは、本人を含めて誰にも変えることのできない結末に通じる道のようなものだろうか。道のようなもの、つまりは方法だ。そう考えると、運命コードの解読は、その人が生まれ持った方法論を解明することになる。たいていの人は自分に使いこなせると思える、あるいは自分の知っている方法に従って行動する。それゆえ、どうしてその方法を選択したのかに注目することにより、運命コード解読は大きく前進することになる。

運命学へ(35)

運命式協同開拓者。運命式という未開の地のディベロッパー。わたしの運命式からは、しばしば土地関係の仕事が良いという判断がされるが、これはリアルな土地でなくてもいいのではないかと思う。たとえ比喩上の土地であっても、運命式協同開拓者は運命式という名の土地を取り扱う仕事人である。たった八文字、四行で示された土地の登記簿を見て、最大限の土地活用をもくろむプロのディベロッパーだ。東洋の占星術のひとつである四柱推命を知ることによって、わたしは自分独自の認識論を持つにいたった。問題の分析を容易に導くための思考システムとして、四柱推命を貫く理論の土台となっている思想—ーつまりそれは、陰陽五行説であるがーーを深く理解し現実生活にうまく適用することが肝腎である。日々の生活と結びつかないような学問は、刻一刻と変化する時間の中を生きる役にはたたない。

運命学へ(34)

二十世紀はそういう時代だったのだろう。自己の探求にとりつかれた世紀だった。しかし二十一世紀は違う。他者への愛こそが必要とされる世紀だ。他人様のことを思いやり、それを踏まえた上で、他人様への配慮が要求される時代なのである。まるで二十世紀以前の日本に戻ったかのようだ。そういう意味で、運命学は、自分以外の、様々な他者を知るための手段となり得る。わたしが他者に何か配慮しようとするとき、そこにわたしの奥底にあるわたしの本質的な姿が現れる。だから他者を知ることこそが、自分を知ることに結びつくのだ。悪い運命の命式を見て、わたしはどのようにしてそれを相手に伝えるのか。このときにわたしが相手に対してする配慮の内容にこそ、わたしの本質的な性格や人間性が露呈するだろう。しかし運命式を読み解いて内容を伝える占い師に、人はどれほどの価値を付与するのだろうか。そうした価値評価とは別次元で、二十一世紀の占い師は単なる運命式解説者ではなく、運命式協同開拓者とならなければならない。長らく文学研究者としての人生を送ってきたが、今後は、運命式協同開拓者としての自分像を描きたく思う。

運命学へ(33)

それがなぜか。長らく考えたが、最近になってようやく答えがでた。自分の考えの中に入り、自分の考えの中で悩み苦しんだ作品を、「真実」とか「現実」として受け止めようとしてきたわたし自身の態度に問題があったのだ。そういうふうにやっていると、自分の人生がひとつの虚構になってしまい、刻一刻と変化する時間の流れをまったく無視して生きてしまうことになる。わたしが研究してきた作家は、最晩年に自分というものを理解し、そのとき「もう、書く必要がなくなった」という言葉を残した。自己探求をテーマとして執筆してきたのだが、自分の正体を本当に悟ったときに、作品を書かなくなってしまったのだ。「書くことは生きること」とその作家は言った。しかし今になって思うが、その作家にとって書くことは、自分をより多く知ることだった。若いころのわたしは「書くことは生きること」の謎めいた言葉に大いに共感し、自分自身を不可知の存在として文学研究を開始した。しかし、どんなに研究しても、どんなに作家作品を読み込んでも、いつまでたっても自分を知り得ることはなかった。

運命学へ(32)

どうしてわたしは運命学を本格的に追究する気になったのか。自問自答してみた。わたしは長い間、二十世紀のアメリカ人作家の研究をしてきた。その作家はドキュメンタリー作家ではなく、虚構の世界を描く作家だった。その作品は大体のところ、「一人称での語り」という手法をとっていた。二十世紀に入ってフロイトが精神分析学を創設したが、それはまぎれもなく人間の意識の解明に注意を向けた学問だった。二十世紀はとくに自分というものに関心を向け、自分の意識を、それが潜在的なものであれ顕在的なものであれ、探求した時代だった。わたしが研究し続けてきた作家も、二十世紀という時代精神の中で生きた人間だったから、作品の中の主人公は「わたし」だった。小説の内容はすべて、自分が自分の考えの中に入り、自分の考えの中で悩み喜ぶといったもので、作家が描いたのは、そういう意味では、まさしく虚構の世界だった。わたしは作家の描く虚構世界に「真実」を躍起になって探し出し、そうして得られた研究成果を現実生活に活かす試みをしてきたが、どうしてもうまくいかなかった。研究成果の現実生活への適用に関して、わたしはそこに一かけらの真実すら見出すことができなかったのだ。

運命学へ(31)

師匠は十五回も転職し、ようやく占い師という生業に落ち着いた。四柱推命では大きく二種類に人様の命式を分ける。身強の命式と身弱の命式だ。身が強いとは、自己が潜在的に持っているエネルギーが大きいことを指し、身が弱いとはこれの逆である。四柱推命では、エネルギーの強弱だけを問題とはしない。十年ごとや一年ごとに巡りくる行運と誕生時に決定した運命式とのエネルギーバランスが重要で、身の強さ弱さで幸運や不運は決定しない。また、どちらかが特に優れているといった判断もしない。師匠は身の強い運命式をもった人だった。だからその観点からいろいろな事物を見ているのかもしれない。もし師匠が身の弱い人だったら、人生、四行しかないとは言わないだろう。それどころか人生、四行もある。この一行一行に示された文字が、その人の人生の課題を如実に語っており、今まで生きて、そのうちのどれだけを達成し終えたのかと問うかもしれない。

運命学へ(30)

人生四行という言葉。最初はいまひとつ意味がわからなかったが、人の運命式が年の柱、月の柱、日の柱、時間の柱と四つの柱で成り立っていることを考えれば、人様の人生は縦書きにすると、たったの四行で書き終わってしまう。どんな苦難の人生も、どれほどお金や地位に恵まれた人生も、極悪非道の限りをつくした人生も、すべてがたったの四行で表現されつくしてしまうのだ。三行で還暦を迎え、三行半で古希となる。刻一刻とデジタル式に時間は流れ、それにつれて運気が刻一刻とデジタル式に変化しつづける。変化こそが生きることであり、生きている証なのだ。師匠は人生四行という言葉を奥歯で噛みしめながら、だからこそ良い目を前倒しにしてぶれずに生きろと言った。一度でも夢見た何かがあるのなら、途中で放り出さずに、周りの忠言や中傷などには耳をかさず、ひたすら自分の考えに従って行動し、初志を貫き通せと言った。人生、たったの四行なのだから、と。

運命学へ(29)

四柱推命は東洋占星術のひとつだ。西洋占星術と何がちがうかというと、東洋の占星術は、太陽の運行にともなう、農業と深くかかわった特別な暦をつかうことだ。年も月も日も時刻もすべて漢字二文字で表現される。そう言った意味では、デジタル式にあらゆることが切り替わっていく世界だ。それだから、生まれ時間が一分違えば、運命式はまったく違ったものになることもありえる。東洋占星術は中途半端さを全く含まない占術であり、あまりにもきっぱりと運命式が決定するので、それがこわくもあり潔くも感じる。またもう一つ、西洋占星術と違っているのは、西洋占星術が実際にある星の運行や配置を問題にするのに対して、東洋占星術は、実際には存在しない架空の星も視野にいれていることだ。見えないものを見ようとする態度、これこそが東洋の智恵というものだろう。

運命学へ(28)

では、正官を月支にもった女性はどうだろうか。昔、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」といった標語が流行ったが、正官女性にはまさしくこの標語がぴたりとあてはまる。この女性にとっては、自分が浮気した事実の発覚が何よりの恐怖で、その点が保証されれば、浮気相手の浮気など問題にならない。もちろん多少は気分を損ねるかもしれないが、それよりも何よりも、浮気相手が浮気した女性に自分の存在が知れることを恐れて、相手の男から遠ざかり、また別の浮気相手を探しはじめることだろう。正官女性は、自分の手を一切汚さずに、快楽は快楽として自分だけの秘密として愉しみたいのだ。彼女はいつも、他人様から見て、良妻賢母の鑑のような存在であることをアピールする。ご近所はおろか、友人間でさえ、彼女が人様に言えないようなことをしているなんて悟らせないよう慎重に行動する。正官女性に不倫相談なんてもちかけても、自分のことを悟らせないよう必死に防御するため、親身になって話は聞いてもらえないのが常だ。

運命学へ(27)

十神の示す性格で恋愛事情が異なってくる。食神を月支に持った女性と傷官を月支に持った女性、正官を月支にもった女性のそれぞれが浮気をしたとする。そしてその浮気相手がまた別の女性と浮気をした場合、この三人の女性はどういった態度をとるだろうか。食神を月支にもった女性は、浮気相手の浮気などは気にしていないふりをする。そのとき彼女はこう思っている。自分も同じように浮気しているのだから、浮気は浮気として楽しめばいいわ。食神女性にとって浮気相手は、会っているそのときが全てで、相手に自分への献身や忠誠なんて求めてはいない。鷹揚とか大人といえばそれまでだが、食神女性の人間関係にはいい加減なところがある。これと対照的なのが傷官を月支に持った女性だ。この傷官女性はどうしても、自分が相手のオンリーワンにならないと気が済まない。たとえ浮気相手の浮気であっても、それは許されることではない。傷官女性は自分を棚上げして相手の男性を責め、また男性の浮気相手の女性に仕返しや嫌がらせをする。こういった行動に走るのは、一つには愛の純粋性への信仰があるからであり、また一つには、もともとのプライドの高さが災いしているのだ。傷官女性にとっては、男に浮気される女なんて、とうてい許容できるものではない。傷官女性の怒りは男の浮気相手の女に向かう。

運命学へ(26)

それから、周囲にいる生まれ日が壬申の男性を観察しているうちに、共通した特徴が浮かび上がってきた。この生まれ日の男性は酒好きの人が多く、深酒が原因で様々な失敗をしているようだ。女性にはある一定期間ならば、表面的には優しく振舞うことができるが、他の相手ができたりすると、内面が非常に悪くなる。豹変するといってもいいかもしれない。暴力をふるったり、無視したり、それはまるで女を一個の人間として尊重しておらず、自分のコントロール下においておかないと気が済まないかのようだ。何事に対してもひどく意地を張り、社交上でさえ、人をほめたり謝ったりするようなことができない。不器用な人間といえばそれまでだが、手先自体はものすごく器用なことが多い。智謀策略には異常に長けており、何かの計画や戦略を練るのなら、相棒としてこの人の存在を忘れてはいけない。車などの乗り物の運転がうまいことも際立った特徴の一つだ。

運命学へ(25)

誰かをストークする星と誰かにストークされる星。どちらも恋愛星だが、熱情や執着の向かう方向と質が違う。恋愛すると。上がり下がりする気分の波や激しい感情の嵐に苛まされる。真剣な恋をしたことがある人には、病いともいえるほど不安定に揺れ動く恋心の様相を理解できるだろう。かつて戊辰日の生まれで、生まれ時刻の柱に、このストークされる星を持った男性がいた。戊辰の干支は「浮気する」の暗示の強い干支だ。たしかにその男性は配偶者を顧みず、何度も恋愛問題をおこしていた。配偶者にはまったく性欲らしきものを感じなかったそうだ。そうこうしているうちに、ある浮気相手との別れ話がこじれて、自分より年上の女性にかなり長い期間ストークされることになり、しまいには警察沙汰になった。おそらくは本人の言動や思考に問題があり、自業自得といえばそれまでだが、持って生まれた運命式に現れた通りになったと言わざるを得ない。

運命学へ(24)

それでも男は妖しい雰囲気のある美人に弱い。ヘンリー・ミラーというアメリカ人作家の二番目の妻が、まさにこういった類の女性だった。文学青年のヘンリーは、この女性を一目で好きになった。ジューンという名前だが、ヘンリーは、ダンスホールでダチョウの羽の衣装をつけて悠然と歩くジューンの姿が忘れられなくなった。実際のジューンは、精神がいくぶん不安定ではあるが、美貌以外はこれといった才能のない平凡な女だった。しかしヘンリーは、その妄想力を駆使して、ジューンを自分のファム・ファタールに仕立て上げた。悪い女に翻弄される自己イメージにこだわったのだ。ジューンは男をまどわす女として作品の中に登場するが、これはすべてヘンリーが、自分勝手に実際のジューンを歪曲したり誇張したりしたものだ。ジューンはヘンリーの「運命の女」とされているが、本当のところは、ヘンリーが運命に翻弄される自分を描きたくてジューンを利用しただけだった。ヘンリー・ミラーの代表作は運命に翻弄される自分を描いた、まさしく『運命の書』だ。これこそが初出版作品『北回帰線』の隠れたタイトルだ。師匠が運命について語る仕事をしつつ、悪い女にいれあげているのは、まさにヘンリー・ミラーが自分の芸術のためにやったことと同じだ。ヘンリーは自分の芸術を確立しようと必死だった。それと同じく師匠は、その女に大金を与えてしまうほど真剣に、自分の運命学に取り組んでいるのだろう。

運命学へ(23)

墓運の次は恋愛星だ。その日のレッスンはいつになく盛り上がった。師匠は男女間の恋愛について語るのが好きなようだ。師匠によると、若い女性が相談に来るのは、大体が恋愛問題ということだ。「いつ別れたらいいですか」とか、「いつ結婚できますか」とか、「相性はどうですか」とか。四柱推命の恋愛星は積極的に自分から恋愛を仕掛ける星と相手から追いかけられる星の二つがあり、そのどちらも生まれた時間の柱につく場合に一番強く作用する。恋愛星の勢いが強いのは、その人が美貌で遊興を好むことを表している。命式のバランスが悪い人の場合、この恋愛星がつくと、異性関係と酒で失敗する傾向が半端なく大きくなる。師匠はある干支に恋愛星がついている女性に長いことぞっこんらしい。離婚歴一回で、色情深く、相手を愛する能力がない女性。見た目は美しく、師匠好みのあざっとい色っぽさを備えているのだが、本質は自分勝手な冷たい女性。すでに一回、その性格で結婚に失敗している。そういったいわゆる「悪い女」が師匠の好みと聞いて、やはりファム・ファタールとおぼしき女は男の永遠の理想なのだと思った。こういった女は、男から金運を奪っていく、いわゆる下げマン女性だから注意したほうがよい。

運命学へ(22)

ああ、もうひとつあった。墓運中に家の玄関の軒が崩落しかけた。自宅の玄関の軒は、あとから木造で造作工事をしたものだったが、それが本体からはずれて崩れかけた。隙間が日に日に大きくなっていったので、慌てて業者をインターネットで探して軒の撤去工事を頼んだ。普通より割高な工事代を請求されたが、致し方ないと思ってその金額を払った。予測外の出費に見舞われたことになる。業者によると、白アリが原因ということだった。鉄筋コンクリート造りの家で、玄関の軒の部分のみが木造だったが、まさかそんなことが自宅におきるとは思いもよらなかった。墓運中は、考えてもいなかったような出費がある。誰も怪我したりしなかったことが、不幸中の幸いと考えたほうがいいのかもしれないが。

運命学へ(21)

この墓運の十年間、わたしはいろいろなものに興味を持った。自分の世界を広げようと、自我の凝り固まった安全な世界から飛び出して、自分以外の外の世界へと出ていった十年間ともいえる。他人がわたしにとった態度は、おそらくはわたしが他人にとった態度とまったく同じだったと思う。十年間におきた感情的に嫌な出来事は、他人からかたくなな態度をとられたり、他人に好かれなかったり、あからさまに嫌いと言われたり、性格どころか人格まで否定されたり、こつこつと一生懸命に積んできた事を冷たい一蹴で壊されたり、といった類だった。お金も無駄に費やしたような気がする。いまになって考えてみれば、普段のわたしだったらあり得ないようなお金の使い方をした。買い物依存になったし人間不信にもなった。だけどひとつだけよかったのは、病気にはならなかったことだ。生来、丈夫な体質なのだろうか。

運命学へ(20)

この悪魔のような人物とは、墓運が終わったとたんに縁が切れた。見事な切れ方だった。以上のことから、「死ぬほどのつらい目」とは推測するに、離婚問題(わたしの場合は偶然的に夫と離れて暮らすことになったので、離婚には至らなかった。墓運が終わったいま、夫とは問題なく一つ屋根で暮らしている)、金銭的・精神的損害や肉体的な危険、慣れない仕事を完璧にこなさなければならないという精神的・能力的な不安や疲労と理不尽な人間関係を維持するために生じる強度のストレス、であろう。わたしは自分の墓運を身をもって十分に生きたので、おそらくは同じように墓運にあって、悩んでいる人たちの気持ちがよく理解できると思う。この墓運の十年間は間欠的ではあったが、次々と「死ぬほどつらい目」にあった。大きくは三つだが、それ以外にも、主に人間関係だったが、不快なことが連続した。

運命学へ(19)

家が泥棒に狙われたのは、後にも先にもそれきりだった。あとからいろいろな人に、のこのこと階下に降りていかなかったことが返って幸いしたと言われた。危害をくわえられる可能性があったと。命あっての物種とも。そんな風に考えたほうがいいのかもしれないが、家の後片づけと警察への対応にエネルギーを無駄に費やし、失ったお金は取り戻せなかった。これは、死ぬほどの目にあったといえるかもしれない。一歩間違えば、泥棒に殺害されていたかもしれないから。またさらにもう一つ、その期間仕事関係で、わたしはある組織の幹事役を引き受けることになった。これがもう、悪魔のような人物にゴマすりをしなければならないような役回りで、そのため誰も引き受けなかった役だった。わたしがしくじったら、組織全体の経済が立ち行かなくなるという重大な任務だった。だから絶対に、その悪魔のような人物の機嫌をそこねるような言動はとれなかった。また様々な書類を非の打ちどころのないものに仕上げて、その人物に提出しなければならなかった。そういった類の書類を今まで一度も作成したことがなかったし、その人物の前では、自分の奔放な性格とは対立する自分自身を演じなければならなかったので、心底疲労とストレスを感じた。

運命学へ(18)

またそれ以外に、夫と別居期間中に自宅が泥棒に襲われた。被害総額は、生活費のためにバックに入れておいた七万円ほどだったが、問題は被害の金額よりも、朝起きて階下に降りていったら、一階のリビングと書斎が無茶苦茶に荒らされていたことだった。すべての引き出しの中身が床高く積み上げられていた。たしかに夜中の二時ごろ、台所あたりで小さな物音がするのを聞いた。わたしはそのとき浅い眠りから覚めたが、おそらく長男が台所でジュースを飲んでいるのではないかと思い、階下に降りて確認はしなかった。泥棒は台所のアルミ格子を引き抜いて窓から侵入したのだった。アルミ格子はちょっと力を加えると、いとも簡単に引き抜くことができる。アルミ格子がそれほど軟弱なものとは、まったくそんなことは考えたこともなかった。格子があるから大丈夫だろう、と窓を開けたままにしておいたのだ。とにかく家の中の荒れ具合に非常な動揺を感じた。すぐ警察に連絡したが、それ自体、それまで一度もなかった経験だった。

運命学へ(17)

四柱推命を習うのは命がけだ。もうわたしの頭の中は、墓運という言葉でいっぱいになった。墓運は一生のうち一度も巡ってこない人もいるし、むしろ巡ってこない人のほうが圧倒的に多い。レッスンが終わったあとも、墓運についていろいろと思いをめぐらせた。墓運に入って何がわたしの人生で変わったのか。思い当たることがいくつかあった。まず第一は、夫と別居したことだ。転職名人の夫は、五十半ばで長らく勤めた会社を辞職し、その後は全部で三つの会社を転々とした。給料はほとんど下がらなかったので、わたしは夫の転職には反対しなかった。最初の転職先は自宅から通える距離だったが、二つ目と三つ目は、自宅から遠く離れた都道府県にあった。後になってわかったことだが、夫が転職先を辞職して自宅にもどってくるまで、別居してからちょうど十年の時間が経過していた。夫はわたしと十年きっかり別居していたのだ。

運命学へ(16)

ある日、四柱推命のレッスン時に、師匠が急に「墓運というのがあって」と言い出した。墓運、空恐ろしい響きの言葉だ。この表をみたらすぐに出せると言うので、師匠の指さす表を見た。そこにある文字を密かに自分の命式にあてはめてみたら、わたしはこの墓運の真っただ中にいた。とてつもなく大変な運の中にいると思い「これはお墓に入る運なのでしょうか」と訊くと、「五割は」と師匠は軽いのりで答えた。それが本気なのか単なる冗談なのか、わからなかった。わたしは不安そのものの顔つきだったと思う。「そうでなければ、死ぬほどのつらい目にあう時期」と師匠はきっぱりと言った。わたしは意を決して「あの、わたし、いま墓運なんですけど、大丈夫でしょうか」とおそるおそる訊くと、師匠は声をあげて明るく笑った。そしてひとしきり笑ったあと、「さあね」と言った。

運命学へ(15)

しかしそれはさておき、千二百種類もの性格や行動パターンを即座に思い描くのは非現実的な話で、理論上はありえるが実占上では使えない。だからやはり十種類の分類で人様の命式を判断することになる。それぞれの通変星はそれぞれの住む世界を表している。それぞれの世界観を限定しているのだ。それぞれに固有の色彩と作用があり、この世での使命があり役割がある。人間は自然の一部なのだから、命式に現れた色彩はすべて自然界に存在する。シュバルツ・マドンナは深紅。この大輪の見ごたえのあるバラを観賞するために育てている師匠の、性格と行動パターンを表す部位にある星は、深紅という色彩を放つ星と何らかの関連があるにちがいないと推測した。わたしはその人が好む色彩で、その人のもつ性格や行動パターンを象徴する星を推すことができるという仮説を新たにたてた。その後、データ集めは以前より明確で現実的になった。

運命学へ(14)

自分自身を象徴する文字との組み合わせで通変星をだす。通変星は単に便宜上のものだが、比肩、劫財、食神、傷官、偏財、正財、偏官、正官、偏印、印綬の十種類がある。基礎的知識を獲得する段階で、十種類すべてを暗記し理解するのに苦労する。心理学ではもっと少ない種類の性格分類をしている。しかしわたしには、やり過ごした三十年があった。十種類の暗記と理解はすでにできていたから、これら十種類のそれぞれが、さらに百二十種類に細分化されるという仮説を立てた。これにより自分と同じ性格や行動パターンは厳密には、千二百分の一の確率で世の中に存在することになる。わたしはこの後もずっと、自分の仮説の正しさを証明するために、メモをとりデータを集め続けている。これには多数の人間と交わって、それぞれの外見上の印象と表立った性格や行動パターン、内に秘めた性格や行動パターンを細かく分析していく必要がある。またさらに運命学への道は遠くなったが、たとえそれが陰気な目的であっても、追求には一種の熱狂を感じずにはいられない。

運命学へ(13)

命式を出したらすぐに、客に向かって性格やら行動パターンやらを片端から話せ。最初にそれがどれだけ言えるかで客は占い師を判断する。人の性格や行動パターンを表しているのはここだ。師匠はわたしのノートのある一点を指さしながら言った。十ある通変星のひとつひとつを、いろいろな人でその特徴を確かめてノートに書き留めろ。そのノートこそが、占い師としてやっていくときの武器になり財産となる。師匠は瞬きをせずに一気に話すと、ふうと息を吐いて椅子に座った。その後は趣味で育てているバラの話になった。シュバルツ・マドンナという名の、ドイツで品種改良された深紅の剣弁咲きの花。師匠は園芸書にある育て方の解説をあからさまに批判した。その日の教えはここまでだった。四柱推命とバラの組み合わせから何が生まれるのか。この問いが師匠の思考方法の鍵になると思った。

運命学へ(12)

月に二回、隔週土曜日の昼間に教えを受けることになった。四柱推命講座基礎編の初回レッスンの日、師匠はまったく別人のように早口で喋りだした。体格がいいせいか、声が大きかった。どう考えても体育会系の声だった。練習などで大声をはり上げる継続的な経験がなければ、あれほどの声量で話し続けることはできないだろう。コンクリートの壁に囲まれた小さな部屋の中では、反響音で頭が痛くなるほどだった。その日は暦の見方と十干について学習した。全部知っていることだったが、何も知らないふりをしてひたすらノートをとった。暦を使って命式を出していくのは、実際にやってみると、意外と時間がかかった。所要時間は三分かかってはいけないと言われたが、その言葉にはあまり説得力がなかった。このときひそかに、学習のとき以外はAI を使って命式を出すことに決めた。

運命学へ(11)

何と言っても今日はわたしの誕生日だ。わたしは占い師の言葉を、天の言葉として聞く心づもりをしていた。糞詰まり。これが天の言葉だった。とにもかくにもこの言葉こそ、わたしの第一歩に似つかわしい言葉なのかもしれない。このうさん臭い初老の男がどんな講釈をするのだろうか。占いに関する知識よりも、二十年もの間、この占い師が占いで生計をたててきたという事実に興味がわいた。一週間後、わたしは再び占い師の事務所に電話をかけ、入門を申し出た。占い師は上機嫌な声ですぐさま承諾した。人は自分の運命式通りの人生を生きる。わたしがその占い師の門下生になったのは、わたしの運命式通りの出来事だった。そう、占い師の言葉通り、詰め込む一方で成果のない停滞した運気なのだ。だから今は、ことさらに詰め込むことが正しい。わたしは自分の不幸さの只中に飛び込むことにした。占い師の思う壺だったにちがいない。

運命学へ (10)

「母親には困っとるわ。しょうもない。たまには顔を見せろと言われても、顔を見たくもない相手やから無理や。親子関係ちゅうもんは、一年や二年で出来上がるもんやないから」と、そこからは延々と自分の母親への呪詛の言葉が続いた。自分の運命が知りたくて鑑定の場に臨んだはずなのに、お金を払って人様のぼやきを聞かされるはめになった。ひょっとしてこれは「客払い」というテクニックなのだろうか。話の切れ目ですかさず要求された額の鑑定料を支払って、紺色の扉のノブに手をかけた。背後から「占い師に向いてますよ」という声が聞こえた。「もし四柱推命をやりたくなったら、いつでも連絡ください」とも。そんな風に後から声をかけるのは、印象深くするテクニックの一つなのだろうか。

運命学へ(9)

母の誕生時刻は不明だったが、占い師はそんなことは気にしていないように見えた。四柱推命は生まれた時刻を重要視する。占いにくる客のなかには、自分の生まれた時刻を知らない人が結構な数でいる。占い師はそういった客のニーズにも応えなければならないから、あえて時刻を無視して占うこともあるのだろう。やはり五分ほど命式を出すのに時間がかかった。おもむろに顔をあげて、「線路のようなものと思いなさい。永遠に交わることはない」と言った。「なるべく会わないように。もうあなたの人生から消すように」と言葉を付け加えた。わたしは母が、よほどわたしの命式にとって悪い作用をしているのかしらと思いながら、何度も小さく頭を動かしてうなづいた。すると突然、占い師は自分の母親のことを語り始めた。客のことではなく、自分のことを話し始める占い師に奇異な感じを受けたが、わたしは黙って占い師の言葉に耳を傾けた。

運命学へ(8)

ほかに何か聞きたいことは、と占い師が言った。この占い師は客へのサービス精神に欠けている。もっと表面的なことでもべらべらと喋ったらいいのにと思った。初対面の相手に、それもまったく意思疎通ができていない状況で、客からいったいどんな言葉が出てくるというのだろう。随分と高飛車な態度の占い師だが、懐疑的で意固地な客であるわたしにあわせて、そういった態度をとっているようにも思えた。なんとも嫌な目つきの客だったのだろう。三十年ぶりの運命鑑定だったが、くだらないことにお金をつかってしまったと後悔を感じ始めた。そのときふいに、この命式は母親とうまくいかない、と占い師が言った。思い当たる節があったので、少し母のことを聞いてみたくなった。そうすると、二件になりますと料金が倍になります、と占い師が言った。わたしは、かまいませんと答えた。これもおそらくは、占い師のテクニックの一つだったのだろう。親子関係こそが現代のテーマなのだから。