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怪談

 聞きたくなる話って、昔からエッチな話と怖い話だ。どちらも人の想像力を刺激する。想像力は適度に刺激されることが、物事へのモチベーションを高めるのに必要だし、それが創造性とも結びついて脳の活性化の役に立つ。楽しく生きていくために、わざわざ怖い話を聞きに、タレントさんやお笑いさんが六人ほど集まってのトークショーに行った。そのショーでは、怖い話といっても、誰それの噂話といった体裁で、場所にまつわるものが多かった。個人的な実話とか体験談を期待していただけに、少し肩透かしをくらった感じがあった。こんなものかな。

歯の治療

 人生の節目にさしかかると、歯科医の世話になる。これまでの人生を振り返ると、自分の価値観に大きな揺らぎが訪れるとき、治療済みの歯の詰め物がとれたり、歯が痛くなったり割れたりする。最初は偶然かと思っていたが、どうもそうではないということに最近気づいた。そのたびに歯医者探しに奔走してきたが、その時々で選ぶ歯医者の評判とか特徴が、その時の自分の価値観を反映している。今回は突然に歯が欠けた。ああ、きたな。私自身が刷新する。そう思った。

四十歳代

 振り返ってみると、自分ごとながら、四十歳ちょっとから十年間ほど、いろいろと行動していた。死ぬ間際、人生全体を振り返って見るようなことがあるとしたら、おそらくは、四十歳代が一番荒々しくダイナミックに、様々なことに挑戦していた時期だったと言うことになるだろう。四十歳代は、自分という人間の謎を解くために、自分で自分を試したくなる時期なのだと思う。最近、四十歳代と思える女性と話す機会があった。彼女は自分の考えを強く主張し、積極的に行動していた。過去の自分自身と重なるところが多々あり、ほほえましく感じた。

復活縁

 職場の控室でいきなり見知らぬ人に話しかけられた。その人は二十年近く前、別の職場でよく話をしていた人だった。見た目が変わっていたので、それはこちらも同様だと思うが、普通だったらわからないで通り過ぎたと思う。だけど、メールボックスに並んでいる名前を見て、わたしだと確信したという。こんなこともあるんだなあ。わたしの名前って、特別に珍しい名前ではなく、どちらかというと平凡だ。何がその人にわたしを発見させたのかしらん。

藤の呪い

 「藤の花が見たいなあ」と言い残して三月末に亡くなった人がいる。私はその時その言葉を聞いていた。そしてあろうことか、その人の死後何年もたって、新しく買った中古住宅の庭になんとなく、ほんとうになんとなく一才藤を植えた。一才藤の花が満開を迎えた4月末に、ふっとその人のことを思い出した。その人は、藤の花が咲くころまで生きたいとも言っていたが、花の季節になるまで生きられなかった。私はその人の言葉にずいぶんと長い間、呪縛されていた自分を知った。

リラックス

 ストレス社会を生き抜くためには、うまくリラックスする技術を身につけることが重要と言われて久しい。ストレスを緊張、リラックスを弛緩と読み替えると、緊張ばかり弛緩ばかりではうまく生きているとはいえない。なぜなら弛緩には緊張が必要で、緊張には弛緩が欠かせないからだ。緊張と弛緩は表裏一体の関係で、どちらかが強すぎてはならず、バランスがとれていることが大切だ。受けるストレスが強ければ強いほど、リラックスの程度も同じように強くなければいけない。人様の視線にさらされることを余儀なくされる職業についているのならば、自分一人になれる時間を大事にすることが必要だ。呼吸法を実践して、意識的に自分の内面に触れていく。

思い込み

 人は自分の都合の良いように物事を思い込む。「偶然は神」とばかり、偶然におきた事柄を、さも自分にだけ特別に起きた事柄のように考える。それはなぜかというと、誰も自分という人間に関心も興味も持ってくれないからだ。年齢が高くなればなるほど、自分に興味や関心をもってくれる人の数が減少する。見た目の美しさとか、若さのもつ力のようなものがなくなるからだ。そのことを自分は、無意識的にも意識的にもよく知っている。自分しか自分をひきたてて贔屓して特別扱いしてくれる人間がいない。そんなことを自分はよく知っている。これは一面では悲しいことかもしれないが、一面では幸せなことだ。自分で自分を評価できる人間になったということで、それまでの人様の評価をあてにするような人生を生きなくてもすむようになったということだ。勝手な思い込みも、それが人様に実害がないとすれば、そう悪いことではない。